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2014年9月19日金曜日

ビジョンとミッション

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ビジョンとミッションを改訂しました。ビジョンとミッションを立てることの意義については倉貫さんビジョンとミッションの大切さ 〜 ミッションの気付きとビジョンの見つけかた」を参照ください。



ビジョン

私たちが大事にしている価値観は多様性です。現代の日本社会に閉塞感を感じる人が多いと言われていますが,その一因は,本当は個々人で多様な意見を持っているのに,「空気を読む」ことを暗黙のうちに強要して一様な意見しか言わなくなるからじゃないでしょうか。そして多様性は創造力・想像力を生み出す源泉です。多様になれば,閉塞感を打ち破るような発想がどんどん飛び出るのではないでしょうか。
もっと多様性を受け入れるような社会にしたい。それが私たちの願いです。そういう社会にするためには,大規模組織が少数しかない選択肢の少ない世の中よりも,いろんな個人や小規模組織がそれぞれの価値観で活躍するような選択肢の多い世の中の方がいいと私は信じています。そして教育も,似たような人材を大量生産するような画一的な教育よりも,学生それぞれの個性を見極めて長所を伸ばすような教育の方が望ましいと私は信じています。

多様な価値観が並立する社会を支える個人や小規模組織を多く輩出・支援する

生理的欲求や安全欲求がほぼ満たされた現代日本においては,いずれ個人それぞれが自己実現を目指す社会に変わっていくと信じています。そのような社会では,それぞれの多様な価値観を尊重しあうようになると私たちは考えます。その実現に向けては,全国民や大規模組織が単一の理想を追い求めるよりも,個人または小規模組織がそれぞれの価値観にしたがって迅速に行動する方が有利です。私たちは,確固たる価値観に裏付けられた機動性の高い個人や小規模組織を多く輩出・支援する教育者・研究者であろうというビジョンを掲げます。

個性に合わせた長所を伸ばす教育が当たり前の世の中にする

個人それぞれが自己実現を目指す社会にしていくためには,まず自分の潜在的な可能性に早く気づくことが大事です。そして,その可能性に賭けて積極的に学びを深めて実践の機会を設けることが必要です。その実現に向けては,学習者一人一人に目を配れるように,また学びを促進させていくように,教育のあり方を変えていくことが必須です。私たちは,そういう新しい時代にふさわしい教育を広げる教育の伝道者であろうというビジョンを掲げます。

ミッション

私たちは今までにソフトウェア工学,マーケティング,教育の3つの分野にまたがる領域を研究してきました。そこで,ビジョンで掲げた多様な価値観を受け入れる社会に変えていく原動力になるような,それぞれの分野の専門家を支援したり育成したりすることをミッションとしています。 ソフトウェア工学とマーケティングの人材が連携すると,ITを駆使した新時代のビジネスを興すことが可能になります。このような人材をたくさん育成するには教育の力が欠かせません。これら3つの分野にまたがるミッションによってビジョンで掲げる多様性を受け入れる社会の実現に近づけます。

IT・組込みシステムを活用・開発する多能工プログラマを育成すること,多能工プログラマ育成につながる技術コミュニティを支援すること

ソフトウェアは今後一層重要になります。ソフトウェア開発では人が最も大事な財産です。現在ではあらゆるコンピュータやデバイスがインターネットにつながります。またソフトウェアは,私たちのビジョンに示すような機動性の高い個人や小規模組織が社会に対し大きな影響力を持つことに貢献します。そのような支援をするためには,開発工程やいわゆるIT系・組込み系といった業界ごとに分断された狭い領域に特化した人材ではなく,工程や業界の枠を超えて1人でシステム全体を開発できる多能工プログラマが求められるでしょう。また,多能工プログラマには幅広い知識と経験が必要です。そのため,多能工プログラマを育成するにはたくさんの分野の専門家の力を借りる必要があります。よって専門家が集う技術コミュニティにコミットしていくことも大事です。私たちはソフトウェア工学と教育工学の両方の知見に基づき,優秀な多能工プログラマを1人でも多く輩出し,それにつながる技術コミュニティを支援することを目指します。

確固たる価値観に基づいて未来の社会をデザインし行動する起業家を支援すること,およびそのような起業家マインドを持ったエンジニア,マーケッタなど起業家に直接貢献する人材を育成すること

私たちは,多様な価値観を尊重しあう社会の実現には,機動性の高い個人や小規模組織が多数存在することが不可欠だと信じています。その中核的な原動力は,確固たる価値観を持って行動する起業家だと私たちは考えます。社会の問題のほとんどは解がただ1つとは限りません。そもそも解が存在しなかったり,理想的な解が存在しても現実的でなかったりすることもあります。そのような問題を解決するには,さまざまな学問や技術を駆使して,実現可能な解を見つけ出していくこと,すなわちデザインの考え方が重要です。私たちは,まず既に活動している起業家にたいし共同研究・開発や人材育成などの面で支援します。また,学生や起業家を目指す人に専門分野の枠を超える学びと様々な社会問題に挑戦する機会を提供することで,デザインの考え方を習得した行動力ある起業家の卵や,起業家に共感しデザインやマーケティングで直接貢献できる人を1人でも多く輩出することを目指します。

教える技術のスペシャリスト(インストラクショナル・デザイナ)を支援・育成すること

個人それぞれが自己実現を目指す社会に変えていくには,教育の力が不可欠です。一人でも多くの優れたプログラマや起業家の卵たちを育てるのにも,教育の果たす役割は大きいです。効果的に教育するには,教える内容と教える技術の両方が必要です。しかし,今の教育の現場には教える技術を持つスペシャリストが決定的に不足しています。そこで,私たちは教える技術のスペシャリストの力を存分に発揮できるように支援していきます。具体的には,授業研究の成果を学会や教科書,ブログ,勉強会等の様々な形で社会に還元する仕組みを作っていきます。私たちは,そのような成果や仕組みによって全国に散在する教える技術のスペシャリストを支援したり輩出したりすることを目指します。

2013年1月17日木曜日

非ネイティブの英語力を向上させる取り組み


猪瀬さんの英語を恥ずかしがる人が恥ずかしい件

"そこの英語が堪能な人たち、おめでとう。(中略) そんなあなたには、他の人の英語を公の場所でバカにするのではなく(ぼく自身これを何度もやってきており、相当後悔している)、個人的にそっと間違いを指摘してあげたり、どうやったら正しい英語が使えるようになるのか啓蒙する人であってほしい。そっちの方がはるかに生産的だし、日本人の総体的な英語力の向上にもつながるだろう。"

いや,間違いの事例とそれをどう直すべきかを,ぜひ公開して紹介してください。そのような事例が Google 検索できるようになっていると,非ネイティブが英作文するときに,とても参考になります。

個人的こき下ろしは要らないのは同意です。でも,個人の主観を排した客観的な意見ならば,広く世に広めたほうが役に立ちます。そういう知的資産なのです。

巨人の肩とも共通の部分がありますね。

ソフトウェア工学実践研究において「巨人の肩に乗る」ということ

2011年2月23日水曜日

現在の大学のあり方への疑問~問題解決力を持つ技術専門職を育成する高等教育機関の必要性

私は近年の就職状況悪化の以前から,現在の大学のあり方に疑問を持っていました.
理系の大学生の多くは,卒業すると技術専門職に就きます.でも,現在の理系の大学の多くが暗黙のうちに思い描いている,育成したい学生像はあくまで研究職なのです.実際に研究職に就く卒業生は,けっして多くないのにもかかわらず.
理系の多くの大学の実態は研究職育成機関であるという証拠はいろいろあります.
  • 多くの大学教員は企業を経験していません.したがって,自らが教えている教育内容が実際の企業でどのような意味があり,どう活用されるのかについて,大学教員が把握していなかったとしてもおかしくありません.
  • 大学教員の評価は,研究業績によってなされ,教育実績はほとんど評価されません.したがって,大学教員には教育はそこそこにして研究に力を入れるインセンティブが働きます.
  • 卒業の可否を最終的に判断するのは卒業研究であることが多いです. 最終学年に近くなると研究室に配属され,大学教員から個別に指導を受けます.研究に力を入れるインセンティブが働く上,多くの大学教員は研究職しか経験していないので,卒業研究の指導内容も多くの場合,研究に偏ることになります.
高等教育機関の元々の位置づけでは,(理系の)大学は研究者を育成し,専門学校や高等専門学校で技術専門職を育成するという棲み分けがあります(経緯を細かく見ていくと実は異論がけっこうあるのですが).しかし,いくつかの要因で,将来,技術専門職に就くにも関わらず,企業は専門学校や高等専門学校ではなく大学からの人材を求める状態になっています.その要因を,私は次のように分析しました.
  • 大学がたくさん設立されたので,相対的に大学生の占める割合が増加した.
    専門学校や高等専門学校に比べて,大学の方が数多く設立されました.したがって社会に送り出す学生数も増加したので,企業が大学に求人することが相対的に増加したと考えられます.
  • 企業が専門技能よりも潜在能力を求めている.
    大学生は大学入試をクリアしているので,高校までの知識を一定水準以上身につけていることが期待できると企業は考えているのかもしれません.
  • 技術が高度になり,単なる職業訓練では技術専門職を育成できなくなった.
    専門学校でも高等専門学校でも,元々は「手に職をつける」ことを目標としています.しかし技術の進歩により,理論を知らないことには技術進歩についていけなくなりました.そこで企業は,技能ではなく理論的背景を学習したと期待される大学生を求めているのかもしれません.(もちろんこれは現在の専門学校や高等専門学校で理論を扱っていないという意味ではありません)
学生や親にとっても,大学を専門学校や高等専門学校よりも進学先として選んでいます.その理由を次のように分析しました.
  • 大学卒が就職に有利
    学生の親世代の就職時には,高学歴であることによって就職が有利になった傾向がありました.
  • 就職分野が広い
    専門学校や高等専門学校の出身では就職先が限定されるという先入観があるかもしれません.
  • モラトリアム学生が高校の時点で将来の自身の就職先をイメージできなかったので,「とりあえず」大学に進学している可能性もあります.
社会が理系の大学に求めているのは,研究者育成よりは技術者育成だと考えられます.単純に考えても,研究者人口よりは技術者人口の方が多いですし,結果として求人数も多いでしょう.社会は大学に変革を要求していると言えます.
一方で,大学は研究と研究者の育成という本来の役割に専念すべきだという意見もあります.学術的な研究には公共な価値があるので,たとえ社会が理系の大学に技術者育成を求めていたとしても,それを求める方が間違っている.大学は変わるべきではないという主張です.私も大学の持つ学術的な役割を否定するつもりは全くありません.むしろ,研究はもっと奨励するべきだと考えています.
私の主張は次の2点です.
  1. 日本の理系大学の現状は,教育としても研究としても中途半端である
  2. 既存の高等教育機関では埋められない「空白域」が存在する
それぞれ説明しましょう.
  1. 日本の理系大学の現状は,教育としても研究としても中途半端である
    理系の大学を技術専門職育成機関として見たとき,教育内容が主に実践面で不十分です.加えて,多くの場合に理論と実践が乖離しています.
    一方,理系の大学を研究機関としてみたときには,大学教員に対して教育(やその他の雑用)にかかる負荷が高く,大学教員が研究に専念できる環境にはありません.
    理系の大学を研究職育成機関としてみても,国際レベルで通用する人材を十分育成しているとは言えないかもしれません.
  2. 既存の高等教育機関では埋められない「空白域」が存在する
    技術職を育成する専門学校や高等専門学校が存在し,かつ大学では十分な技術専門職を育成できていない現状があるにも関わらず,企業が大学に技術専門職を求めている現状があります.このことは,埋められていないニーズが存在することが考えられます.
では,どのような技術専門職育成機関が求められているのでしょうか? 私の個人的な仮説を示したいと思います.
大学のあり方についてソフトウェア関連企業の方と議論したときに「(専門学校で)単にプログラムの書き方を学んだだけの人と,背景としての哲学や論理学を内包しての『プログラミング』を学んできた人のどっちが欲しいか?」という意見を頂きました.一方で大学では,哲学や論理学,プログラミングのいずれについても学習する機会があります.しかし,明示的にこれらの関係について教えることはなく,学生の個人的な「気づき」に任されています.
私はここに技術専門職育成機関の空白域の具体例が示されていると考えます.もし,論理学とプログラミングの関係を明示して教育するような技術専門職育成機関があったとしたら? 原理を踏まえた教育をすれば豊かな応用力が身につくのではないでしょうか.
より一般化すると,技術専門職に求められるのは「技術に根ざした問題解決力」であると私は考えます.問題を認識し,解決方法を調べ,選択し,実行して評価する,一連の能力が問われると考えます.まとめると, 問題解決力を持つ技術専門職を育成する高等教育機関が,企業と高等教育機関のギャップを埋める存在であると主張します.
そういう目線で改めて大学の教育を見直すと,たしかに修士で問題解決ができるようになること,とはうたっているのですが,たいていは体系的に問題解決の理論を教えてはいません.研究活動で経験から学ぶことはできるのですが,そこから得られた知識はドメインに依存したものでしょう.
市場価値の観点からも,企業が学生に求めている資質の1つである「問題解決力」に直接アプローチしている点で,少なくとも今現在の市場価値は他の高等教育機関に比べて差別化を図りやすいと言えるでしょう.「長期的にどうなのか」という問題については今後の考察の余地があります.また,「問題解決力があります」と主張しても,実績を積まないとなかなか理解が浸透しないでしょうから,学校全体で就職活動ならびに企業へのアピールにつとめる必要があることは間違いないでしょう.

2011年2月19日土曜日

西洋の考え方(哲学,科学,...) 〜 時計じかけのオレンジ

今日は妻のすすめで「時計じかけのオレンジ」を見ました.それも映画と演劇の両方です.

快/不快でいえば,不快な作品ではありましたが,哲学的で考えさせられるところが多く,また見たいと思いました.精神的に大人になってから見るべき作品で,私も20代までだったら,この作品を見ても嫌悪感だけしか持たず哲学的な意味を考えることはなかっただろうと思います.

以下,作品そのものについては触れず,作品を見て私が考察したことを書きます.

まず思ったことは,この作品の端々に西洋哲学あるいは科学の考え方が見え隠れすることです.作品の中で純粋な(あるいは極端な)状態での究極の2択が現れます(具体的に何かは申しません).A と B という考え方のどちらをとるかを迫るのです.このアプローチはサンデルのこれからの「正義」の話をしようでもとられています.これが「考えさせられる」最大の要因です.

しかし,私はそこに違和感を感じます.仮にそういう極端な状況で考えると A の考え方が妥当かもしれないと思いはするのですが,でもやっぱり普段の状況だと A と B をその時々で総合的に判断するのが妥当だろう,と思ってしまうのです.抽象化しすぎ・捨象しすぎのように思えるのです.現代の西洋科学では複雑なものを単純化しないと扱えないのですが,それと同根なのだろうと考えるのです.

もう1つ考えたのが,西洋では「責任ある自由」をとても大事に思っている点です.そして自由には危険がつきもので,彼らは「自由であるがゆえの怖れ」と常に戦っているのです.

私は以前から自由と安定(安全・安心)は,ほとんど両立しない相いれないものだと薄々思っていました.この作品で感じた「自由であるがゆえの怖れ」を見て,確信に至りました.

と同時に思ったのは,もし自由と安定を両立する道があるとしたら,「自由であるがゆえの怖れ」を超克することが鍵になるのかもしれないということです.

映画




私は Apple TV で見ました.


演劇 



小説もありました



参考文献

2010年12月23日木曜日

インサイドアウトと相乗効果,これからの就職活動や市民活動のあり方〜7つの習慣

今回は7つの習慣―成功には原則があった!の重要な考え方の1つである,インサイドアウトについて考えます.

インサイドアウトは「内から外へ」という意味で,自分の内面にあるものに作用して,外へ波及させるという考え方です.

自分のことを棚に上げて,学校が悪い,会社が悪い,社会が悪い,という人がいます.このような人は,自分の抱えている問題は自分の手に及ばないことのせいにしているので,このままでは決して変わらないです.

それに対しインサイドアウトの考え方は,自分が影響を及ぼして変えられる範囲のことに集中します.具体的には,まず自分自身を変えていくことから始めるのです.この考え方が根底にあるので,7つの習慣の順番は,自分の内面を変えることから始まり,徐々に自分の周りの人に作用することへと続くのです.最初は大して世の中を変えることはできないかもしれませんが,だんだん自分の影響範囲が広がっていき,最終的には大きく世の中を変えていく力にしていくのです.

インサイドアウトを,以前紹介した Win-Win の話と合わせて考えてみます.もしインサイドアウトを考慮せずに Win-Win を目指した場合にはどうなるでしょうか.互いに自分よりも他人に変化を要求しあうことにより,多くの場合 Win-Win に到達することは困難でしょう.交渉の末,なんとか Win-Win を達成したとしても妥協のレベルでしか達成し得ないと考えられます.

相乗効果を狙うとしたら,それぞれの立場を超えてお互いを理解し合うことが必要です.それにはインサイドアウトを実践することが近道です.相手を無理矢理変えさせるより先にまず自分を変えること,具体的にどう変えるのかと言えば,自分の要求ばかり口にするのではなく,まず相手の声に耳を傾け,相手の立場を理解することです.お互いの立場を理解しないことには相乗効果など期待できません.

このようなインサイドアウトの考えに疑問を持った人がいるかもしれません.「そうは言っても,真の原因が社会にあることも考えられるではないか」その例として,私は就職活動のことを連想しました.この未曾有の不況下で就職事情は限りなく悪化しています.その根本的な原因の多くは社会の構造的欠陥にあることが多くの人から指摘されています.このような事例においても,インサイドアウトの考えが正しい,つまり社会を批判するのではなく,まず自分を変えるべきでしょうか.インサイドアウトはそういう,ある意味自虐的な考え方なのでしょうか.

私は,そのような解釈はインサイドアウトの本質を理解していないと考えます.インサイドアウトの教えは,自分が影響を及ぼして変えられる範囲のことに集中することです.したがって,狭義の就職活動だけではなく,微力でも社会に影響を及ぼして変えていくことも含めて自ら率先して活動することがインサイドアウトに基づく就職活動だと思います.

断っておきますが,私がここで言う「社会を変える」活動は,必ずしもいわゆるデモ運動に代表されるような旧来の活動のことを意味しません.なぜならば,旧来のデモ活動は単に一方的な要求を叫ぶのみで相手との建設的な対話を含んでいないため,多くの場合 Win-Win は達成できず,頑張ってせいぜい妥協しか達成できないからです.

もし私が就職活動デモを含む市民活動を企画するとしたら,労使など立場の違う人々を交えたワークショップのような建設的な市民活動を考えるでしょう.この方がはるかに相乗効果を達成できる可能性があります.市民活動は時代時代によって最適なアプローチが異なるはずです.現代の日本の事情にあった市民活動のあり方があると,私は思います.

もちろん,学生さんの立場ではこのような企画をすることは難しいかもしれません.でも,学生には学生なりの社会との関わり方,相乗効果を達成する方法があると私は信じています.就職活動で疲弊している学生さんには,ただただつらいかもしれませんが,目の前の就職活動だけではなく,就職に対する考え方をはじめとする自分の人生のあり方とか,社会との関わりとか,そういう「緊急ではないけれど重要なこと(これは第3の習慣の教えです)」に目を向けることも大切ではないかと思います.

2013/1/13 追記:
変えられるのにあえて変えないタイプの人もいます。そういう人には私が何を言っても変えないかもしれませんね。でも私は,私が変えられる範囲の人を私が善いと信じる方向に導く活動をするだけです。


2010年11月27日土曜日

Apple 戦略論 Part 2

最近私が気づいた「これって Apple の常套手段じゃね?」という戦略の話をします.

その戦略は次のような流れです.

  1. 第1世代の製品では,わざとツボを外したしょぼい「こんなの誰が買うんだ」的な製品を販売する.
  2. その実製品で市場動向や技術的課題をリサーチする.
  3. 第2世代以降で満を持して本気の製品をリリースして,世間をアッといわせて市場を総取りする.
この実例はとても多いです.最近では Apple TV がこのパターンに該当すると考えています.iPod も2001年に第1世代が登場した当初は散々な評価でした.

変形パターンの戦略は次の通りです.
  1. 隠し機能を仕込んで販売する.
  2. その実製品で市場動向や技術的課題をリサーチする.
  3. 隠し機能を別製品に本格展開する.
この実例としては加速度センサーが挙げられます.iPhone で大々的に取り上げられた加速度センサーは,最近知られたことですが,実はそれ以前に MacBook に隠し機能として搭載されていました.MacBook が落下したときにハードディスクのヘッドを待避するために装備されたのです.当時,既に加速度センサーつきのハードディスクは実用化されていましたが,高級品でした.加速度センサーが装備されていない安価なハードディスクを利用できるようにと,MacBook 本体側に装備したのです.

この戦略パターンで解決する問題は次のようなことです.
  • 前例のない新製品を,いきなり大々的に市場に投入するのは,マーケティング面でも実現技術面にも生産面でもリスクが高い.
  • 一方で,新製品の真の課題を明らかにするには,βテストで得られる情報だけでは足りない可能性がある.
Apple が目を付けたのはキャズムによる時間差です.Apple には固定客として新し物好きの人たちがついています.世間でどんなに酷評されていても新製品に飛びつく熱心なファンがいます.このような人たちが喜んで求めて,かつマジョリティである一般消費者が手を出さないようなスペックの製品を最初に出すのです.そうすることで意図的に市場を狭く設定します.

市場を狭く設定する理由は,大量生産によるリスクを回避するためです.もし最初から大量生産していると,クレームがつくような事態になったときに,サポートはパンクします.設備投資面でも大きなリスクを抱えるでしょう.何より,マーケティング的に手探り状態で市場に大量投入すると,大量の在庫を抱える事態になります.

新し物好きの人たちはブログや雑誌等に使用感や直面した問題を詳細に記述した記事を書くことがしばしばあります.そういうことを生き甲斐や商売にしている人たちが多いのです.そのような詳細なレポートは,マーケティング面でも技術面でも有益な情報源となります.

そういう「失敗してもいい」試行期間を設定することが大きな意義になります.Apple が次々と打ち出す大胆な戦略は,こういった市場を巻き込んだ意図的な試行錯誤の過程を経て完成度を高めているのではないか?というのが私の仮説です.

この戦略は,Apple ほどのブランドを持っているからこそできる戦略です.普通のメーカーがこの戦略をとったならば,総スカンを食らって市場から退場せざるを得ないでしょう.どんな製品を出しても買ってくれる固定客がいるからこそ,その人たちを人柱にする戦略が成り立つのです.


2010年11月15日月曜日

Apple 戦略論

Jobs 率いる Apple の経営戦略が優れていることは多くの方が認めるところです.一方で Apple に比べると日本メーカー各社はうまくいっていないように見えます.このことから, Jobs の経営戦略,とくに Apple を追い出され NeXT を設立してからの戦略の本質が何なのか?について私は多大な関心を寄せています.


私が考える Apple の経営戦略の本質はがコア資産か」についての長期ロードマップを考案し,それを徹底して実践したことだと思います.プロダクトラインにおいてコア資産は,ムーアの言うキャズム(early adopter に売れてから early majority にも受け入れられるまでに存在する大きな「溝」)を超える橋頭堡としての役割も担うと私は考えます.私の仮説は,Jobs は最初に手を付けるべきコア資産(橋頭堡)として OS を選択したのではないか?ということです.


まず1985年の NeXT 設立時に Jobs はニッチ市場として高等教育向けハイエンドワークステーションを選びます.おそらく当時は競合も少なく,ニッチとしてもある程度の魅力があったのでしょう.


1985年前後は PC 向けに MS-DOS が主流の時代でした.日本で組込みシステム用の OS として現在も普及している ITRON の最初のバージョン ITRON1 の仕様策定開始が1984年のことです.またゲーム機の状況はファミリーコンピューターの発売が1983年です.

当時の状況では,計算機資源的に NeXT が狙うハイエンドワークステーションと組込み OS が同じアーキテクチャであることはあり得ません.しかし,ムーアの法則が提唱されたのは 1965 年のことなので,思考実験としてはハイエンドワークステーションのスペックが,いずれは家電にも導入される時代が来ることが机上では予見可能です.実際,プレイステーションの発売が1994年のことで,スペック的には NeXT と同等(あるいはそれ以上)と考えられるので,だいたい10年くらいで NeXT が家電化する時代がやってきたことになります.

この時点で Jobs がどこまで長期ロードマップを考えていたのかは明らかではありませんが,既に Jobs の想像力が家電まで及んでいた可能性はあります.世間に広まっている伝説では,少なくとも Apple に復帰して NeXT を買収する1996年頃までには,iPod に代表されるデジタル家電への進出を視野に入れていたと言われます.さらには NeXT STEP を Mac OS X として取り込む際に,将来 Mac OS X を Mac だけではなく家電の OS として使うことも想定していたとも言われています.これらについては真実を検証することはまず不可能です.しかし,もし今,自分たちのポジションで Jobs のように先を予見するとしたら,何をコア資産とするか?を考察する上で参考になるかもしれません.

このように Jobs は OS を橋頭堡として選んだのですが,Jobs の先見性はむしろ OS の上に載せるアプリケーションやサービスのレイヤーにあります.Jobs のデジタル家電構想により,未来を先取りした生活の中に息づくマルチメディア家電が iPod を皮切りに次々と創造されていきます.これらは OS のレイヤーだけを見ているのでは,けっして生み出せないしろものです.OS のあるべき姿を,OS 以外のレイヤーの将来像を考察することにより創造したのです.

もし日本メーカーの中で Apple に対抗するとしたら,よく名前が挙がるのは Sony でしょう.Sony には Jobs 率いる Apple を封じ込める可能性はなかったのでしょうか?

私はあり得たと考えます.鍵となるのはプレイステーションです.

プレイステーションの登場は1994年のことでした.私は当時の興奮を今でも覚えています.ちょっと前のスーパーコンピューターと同じスペックが,ゲーム機に惜しみなく投入されているのですから.プレイステーションが繰り出す映像や音響は,それまでのスーパーファミコンとは別次元のものでした.これは革命的といって過言ではありません.

しかしその後プレイステーションが進化するにつれて,初期の衝撃はどんどん薄れていくように感じられました.私が感じたのは,プレイステーションシリーズがもたらす新しいゲーム,新しい生活が,それほど革命的なものではない,今までの延長線上にすぎない,想像が容易につくものだということです.

今にして思えば,プレイステーション3で打ち出した Cell を中心とする情報家電への展開の構想は,もっと前にプレイステーション2の時代に行うか,あるいはプレイステーションポータブルを中心に据えるべきでした.そして Cell プロセッサそのものへの投資よりは,ソフトウェアとくに OS や基本アプリケーションへの投資を中心にするべきでした.おそらくプレイステーションでの成功体験が強すぎて,それまでの延長線上でしか思考していなかったのでしょう.だから,プレイステーション3がもたらした新しい生活は,革命的でない,今までの延長線上のものだったのです.

Cell に関して言えば,ゲーム機からの要求・制約と,家電からの要求・制約の両方を満たそうとするあまり,どちらにも中途半端なものになったのではないでしょうか.そのため,ゲーム機は任天堂の Wii にかなわず,家電は Apple にかなわずという結果でした.

任天堂も Apple も共通項として,ハードウェアスペックでは勝負せず,それぞれのサービスがどうあるべきか?を真剣に追求して勝利をつかんだのは,私にとって大変興味深いことです.少なくとも今の時代は,サービスとか価値とかを真正面から捉えないと勝利はおぼつかないのかもしれません.



(社)トロン協会 ITRON専門委員会, Introduction to the ITRON Project - Open Real-Time Operating System Standards for Embedded Systems -. http://www.ertl.jp/ITRON/panph98/panph98-j.html#SEC4





2010年2月18日木曜日

製品指向とフィーチャー指向の可変性実現(3)

前々回前回で製品指向とフィーチャー指向がどういうものかを説明しました.おさらいです.

  • 製品指向で可変性を記述した場合,製品に対応したコードを生成するときには製品名のマクロを定義すればいいので楽ですが,そのかわり製品を追加するたびにプログラムコードを改変する必要があります.
  • フィーチャー指向で可変性を記述した場合,プログラムコードの変更は製品指向と比べて少なくてすみますが,ビルドするときにフィーチャーを細かく指定する必要があります.
両方のいいとこ取りはできないのでしょうか? 実はできます.フィーチャー指向で可変性を記述し,ビルドファイルで製品指向からフィーチャー指向への変換をすればいいのです.

たとえば次のような製品マップだったとしましょう.


製品 A をビルドするときにはフィーチャーX,Z を,製品 B をビルドするときにはフィーチャーX,Yを指定する必要があります.この対応関係をビルドファイル中に記述します.たとえば,PRODUCT_A が定義されていたときには FEATURE_X, FEATURE_Z を定義するように書くわけです.このような情報をコンフィギュレーションといいます.

このとき製品指向とフィーチャー指向は上の図のようなレイヤー構造(階層構造)にあります.まず可変性を具体的に記述するのはフィーチャー指向で行います(下の層).その可変性記述のメカニズムを利用して製品指向の可変性記述をコンフィギュレーションとして記述します(上の層).上の層が下の層の機能を使って実現されているとき,その構造をレイヤー構造といいます.

以上をまとめると,次のような表になります.


僕は,おそらくこの発見(製品指向の利点はフィーチャー指向でも実現できる)が,フィーチャー中心のプロダクトライン開発の原点ではなかったかと思っています.裏をとりたいので,何か情報をお持ちの方はお知らせください.


つづく

製品指向とフィーチャー指向の可変性実現(2)

前回は製品指向について説明しました.今回はフィーチャー指向について説明します.

フィーチャー指向は,フィーチャー(≒機能)に対応して可変性を記述する流儀です.もうみなさんだいたい想像がつくと思いますが,次のようなコードを書きます.


#ifdef FEATURE_X 
/* フィーチャー X 向けのプログラムコード */
#endif 

 このような書き方の場合,プログラムコードの変更は製品指向と比べて少なくてすみます.もちろん新たなフィーチャーを追加したときには変更が必要ですが,単にフィーチャーの組み合わせを変えただけの新製品を作成するときには.プログラムコードを変更しなくてもできます.

逆に欠点としては,ビルドするときにフィーチャーを細かく指定する必要があります.製品指向だと製品 A のビルドをするときにマクロ PRODUCT_A を定義してビルドすれば良かったのに対し,フィーチャー指向では製品 A が採用する全ての可変フィーチャーを指定する必要があります.これは可変フィーチャーの数が多いと,面倒ですし,間違いの元です.

しかしこの欠点は,少し改良すると解消することができます.次回はその話をしましょう.

つづく

2010年2月13日土曜日

製品指向とフィーチャー指向の可変性実現(1)

前回の最後にプロダクトラインにおける戦略について触れましたが,それを論じる前に,プログラムコードなどの開発成果物で可変性を実現する2つの流儀,製品指向フィーチャー指向を紹介します.


なお,この製品指向,フィーチャー指向という分類の呼び方は,僕独自の見解であって,文献などで裏をとっていません.類似のことを主張している文献は,いかにもありそうなので,もしご存じならコメントいただくと助かります.

可変性を実現するにはさまざまな方法があります.数々の技法を紹介するのは,また別の機会ということで,最も基本的な C 言語のマクロ(#ifdef)を使った方法を見てみましょう.


よくある定義のしかたは,開発する製品に対応して可変性を記述する方法です.この流儀を製品指向と呼びましょう.

#ifdef PRODUCT_A 
 /* 製品 A 向けのプログラムコード */
#endif /* PRODUCT_A*/
なお,「製品 A 向けのプログラムコード」とコメントされている部分には,実際には製品 A だけに実装するプログラムコードを記述します.

C 言語のコンパイラーは,#ifdef の直後に指定されているマクロが定義されているときに #ifdef から #endif までのコードを含めてコンパイルし,そうでないときには含めずにコンパイルします.したがって,製品 A をビルドするときには,コンパイルスイッチでマクロ PRODUCT_A を定義します.そうすると製品 A 向けのプログラムコードを含むソフトウェアが生成されます.

この方法の問題点は,製品の数を増やすときに,プログラムコードを改変する必要があることです.たとえば新たな製品 B を作るとします.そのとき上記の製品 A 向けのプログラムコードを製品 B にも使うとしましょう.この場合,次のようにプログラムコードを改変する必要があります.
#if defined(PRODUCT_A) \  
  || defined(PRODUCT_B) 
 /* 製品 A・B 向けのプログラムコード */
#endif /* PRODUCT_A, PRODUCT_B*/
#if defined(PRODUCT_A) は  #ifdef PRODUCT_A と同じ意味です.ただし, defined を使うと複数の条件を扱うことができます.また,バックスラッシュ(\) は改行があってもマクロが続くという意味で,縦棒ふたつ(||)は「または」という意味です.したがって,この例では,PRODUCT_A または PRODUCT_B が定義されていた場合に #if から #endif までのプログラムコードを含めるという意味になります.

まとめると,製品指向で可変性を記述した場合,製品に対応したコードを生成するときには製品名のマクロを定義すればいいので楽ですが,そのかわり製品を追加するたびにプログラムコードを改変する必要があります.



追記: あとで明かしますが,製品指向は可変性の表現としては悪い例です.このようなコードをあとで説明するフィーチャー指向に改めていく必要があります.

つづく