2013年8月31日土曜日

教育理念: 個性に応じて適切な学びの機会を与える

入学試験や企業の採用活動において,最初から優秀な学生を厳選して採りたいと思っている人は多いでしょう.
最初から優秀な学生を採っておけば,教育や研修の手間を省くことができます.その上,研究や業務の成果を早く確実に上げられるかもしれません.楽に成果を上げられるのであれば,言うことはないでしょう.

しかし私の経験からは,一見優秀でないように見える学生であっても,適切な学びの機会を与えることで,めきめきと実力をつけて見違えるように成長することがしばしばあると主張します.
たとえば,かつて成績がよくない学生が私の研究室を希望したことがあります.その学生によくよく話を聞いてみると,大学の授業に関心を持てなかったこと,自分の趣味に夢中に打ち込んでいたことなど,話してくれました.私は,勉強そっちのけで寝る間を惜しんで趣味に打ち込むような学生は,適切な動機づけと,いつでもアクセスできる学びの場を与えさえすれば,後は勝手に伸びていくだろうと判断して,その学生を採用しました.そして,私の研究テーマの範囲内で,その学生の興味を持ちそうな分野やテーマを辛抱強く提案し続けました.幸い,ほどなく学生が強く関心をもつテーマが見つかりました.その後,その学生は私が細かく指導しなくても勝手に研究し続けて,結果として驚くほど成長しました.
成績の良い別の学生は,それはそれで悩みがありました.どの授業もたいてい良い成績をおさめるので,かえって自分の強みが何なのか,絞りきれていませんでした.私が見たところ,その学生はまず積極的で素直だったので,技術者のコミュニティに参加させることにしました.その学生は色々な方々から可愛がられ,大いに刺激になったようです.しかし,そのうち壁に突き当たります.私はその学生に悩む時間を与えました.ついにはその学生は自分自身の進路を自力で切りひらきました.
1つ言えることは,学校の成績と社会で求められる技能の間に相関があまりないことでしょう.考えて見れば当たり前で,学校の成績は主として暗記したことをそのまま繰り返す能力だけしか評価していないことが多いです(残念ながら).それは学生の能力の一面を捉えることはできますが,それで全てではないというだけのことです.そもそも学校の成績だけを元にして学生の能力を分類することに無理があるのです.
そして,もう1つは私の経験から,引き出し方次第で学生が潜在能力を発揮できるものだということです.その例のいくつかは先ほど示しました.さらに具体的なアプローチを後で述べます.
この2つの理由により,一見優秀でなくとも,学びの与え方次第で成長させられる可能性が大いにあると改めて主張します.

大事なのは,どのような学びの機会を与えればいいか,学生の個性をよく見て個別指導することです.
研究室での指導では,研究テーマを学生に押し付けることはしません.たとえば学生に社会で将来どういう活躍をしたいかを自由に思い描かせます.そこからキーワードや個性を見出し,興味を持ちそうなトピックを提案します.興味や得意が見いだせない学生に対しては,とりあえず何かを作らせ,その様子を観察して適性を見極めることもあります.場合によっては心理学に基づく性格診断テストを使うこともあります.学生にじっくり考えさせるべき時には,こちらも焦らずじっくり待ちます.将来どうなりたいという方向性と,その学生のスタイルが見えてくれば,しめたものです.あとは適切なテーマと素材を与えれば,細かく指示しなくても勝手に研究が進みます.
たとえ大人数の授業であっても,個別指導を取り入れられないかを常に考えています.学生には能力差があるものなので,どんな授業でも,早く習得する学生となかなか習得できない学生が混在します.大事なことはその現実を受け入れることです.この問題に対する切り札は「自習可能な教材」です.一斉講義を最小限にして,自習可能な教材を与えて演習する時間を多く取ります.一斉講義をしない代わりに学生が演習している様子をよく観察し,早く習得した学生には適切な発展的な題材を与え,なかなか習得できない学生には個別にフォローアップをします.授業を通して学生が感じたことを収集し,フォローアップや今後の教材の改良,方向性の調整に生かします.それによって理想的な完全習得学習を実現できます.


私たちは,学生の個性を見極め,個性に応じた学びの機会を与える指導を行います.

2013年8月27日火曜日

教育理念: 主体的な学びを促進する場をつくる

私の教育理念について熟考しました.シリーズで紹介していきます.初回は「主体的な学びを促進する場をつくる」です.

-----------------------------------------------------------------------------------------
ただ受動的に教わるよりも自ら進んで学ぶ方が何倍も教育効果は高いです.
みなさんの経験でも,学校の授業,とりわけ日本では一般的な,教師から学生へ一方通行の講義によって教わっても,なかなか身につかないというのは実感していると思います.教師の板書やしゃべりは退屈かもしれませんし,授業の途中で疑問を持っても淡々と授業が進んでしまうので理解が追いつかないかもしれません.そもそも,その授業の内容に興味がないかもしれません.
これに対し,自ら進んで学ぶ場合には,自分でも驚くほど興味や意欲を持って取り組めることを経験している人も多いでしょう.たとえば,自分の趣味に打ち込むとき,資料を自分で調べたり試行錯誤しながら何かを作ったり自主的に日々練習したりしますが,そのときの集中力はとても高く,学校の授業で学ぶことと違い頭や体にすぐ覚え込ませることができるものです.
このように「自ら進んで学ぶ」状態を意図的に作り出せるとしたら,学校の授業が一変すると思いませんか? そのこともあって最近は「自ら進んで学ぶ」ことをうたった授業づくりが盛んです.

しかし,自主性に任せると称し実態としてただ放置することがしばしば行われますが,それでは,なかなか自ら学ぶようにならないものです.
なぜならば,人は生まれながらにして自主的に学ぶ姿勢を身につけているわけではなく,人によって学ぶ姿勢に個人差があるものだからです.その状態で,たとえば教師が全く介入せずに成り行きに任せて漫然とグループ学習を行うと,グループによってはうまく学びが促進されず,普通に講義を行う場合よりも低い教育効果しか得られない可能性が大いにありえます.そのような状態は,ただの放置です.放置するのでは,十分な自主性が育まれるとは限りません.

主体的な学びを促進するためには,学びやすい場を設計することが大事です.
たとえば,興味を持たせるための工夫をする,学生が興味を持った時にすぐに学習機会が得られるようにする(具体的には,資料等を取り寄せたり,自分でプログラミングして実験したりできるようにする),学生たちが自由に議論する(必要に応じて教師を交える)ような場を作る,学びを習慣づける取り組みを行うといったことを行います.これは近年話題になっているアクティブ・ラーニングの考え方の基本です.

私たちは,主体的な学びに関する教育研究の最新成果を取り入れて,授業や研究室で主体的な学びの場づくりを行います.

2013年8月2日金曜日

ソフトウェア開発の実務家が博士論文を書くことの意義

ソフトウェア開発の実務家がソフトウェア工学の博士論文を書くこと,つまりソフトウェア工学の研究手法を学んで実践できることの最大の意義は,ソフトウェア開発を科学的・工学的に改善することを学ぶことだと私は思います.

実務ではよく PDCA (Plan-Do-Check-Action) のようなサイクルでソフトウェア開発を改善していきますね.しかし,たとえば P 一つとっても,その計画を採用するときに,ただのKKD(勘,経験,度胸)だけを根拠にしていませんか? その計画に客観的な裏付けはありますか?
たとえば,あるソフトウェアを開発するのに用いる技法を選ぶときのことを考えてみましょう.できるだけ最善に近づけるためにはどうしますか? たとえば世の中にどのような技法があるのか,今までに技法を実践した前例がないかを網羅的に調べますよね? 大々的に採用する前に,試験的なプロジェクトで効果を実証してみたりしませんか? そもそも自分たちがどんな課題に直面しているのか,今までのソフトウェア開発活動をふりかえることもするでしょう.

ソフトウェア工学の実践研究では,実はこのような活動を次のように科学的・工学的に行っています.

  1. 問題定義: 今までのソフトウェア開発をふりかえって,何が課題かを定義する
  2. サーベイ: 課題に関連する研究や事例,技法などを網羅的に調査する
  3. 解決アプローチの検討: 既にある解決法を再利用しながら必要に応じて新たな解決法を追加提案する 
  4. 検証: 実際のソフトウェア開発に解決アプローチを適用してみて効果を実測する
このやり方をきちんと身に付けると,実務でも大いに役に立つはずです.博士論文を書くことは,このやり方を身につけるトレーニングになります.

博士号のとり方


社会人(ソフトウェア開発の実務家)が博士論文を書くときのコツは,いかに最小限の内容にするか,だと思います.社会人になると欲張りになって「あれもこれも」と盛り込もうとして収拾がつかなくなって年限オーバーということになりがちです.「引き算」です.一番大事な本質的な問い(リサーチクエッション)をいかに絞り込むかが勝負だと思います.


リサーチクエッションがある程度絞れたら,それを「仮説」「軸」として既存研究をサーベイします.似たようなテーマの研究を分類する「軸」を提案するようなサーベイ論文は,とてもわかりやすく有用です.

サーベイを終えると,何を自分がなすべきかが見えてきます.空白域になっているような領域があるかもしれません.また,軸の全体を統合するような方法論が不在かもしれません.理論が整っていない,あるいは逆に実践を伴っていないような領域があるかもしれません.そこが狙い目だと思います.最初にも述べた通り,博士論文は最小限の内容にするよう心がけるのが大事です.次の記事も参考にしてください.

ソフトウェア工学実践研究において「巨人の肩に乗る」ということ
http://zacky-sel.blogspot.jp/2013/01/blog-post_10.html

私の博士論文はダメダメだったんですが,その後ヨーロッパを中心に行われている「研究方法の研究(メタ研究)」を調べたり,実際に書かれた博士論文をいろいろ読んでみて,こうするべきだったんだということが後でわかった次第です.

博士号を取ろうとするすべての人に,まずは次の書籍を薦めます.





http://www.amazon.co.jp/gp/product/4990455509/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4990455509&linkCode=as2&tag=zacky1972-22